準1級-19 応用統計の手法
マルコフ連鎖
- 推移確率
- 既約性
- 再帰性
- 定常分布
はじめに
「明日の天気を予想するのに、過去1か月分の天気を全部覚えておく必要はある?」
天気予報のない時代を想像してください。明日の天気を予想するなら、まず今日の空を見ますよね。先週の火曜日が雨だったかどうかは、あまり役に立ちません。今日の状態さえ分かれば、それより前の履歴は、ほとんど捨ててよいのです。
実は、この「今だけを見ればよい」という割り切りは、確率のモデルとして非常に強力です。お客さんの店の乗り換え、すごろくのコマの動き、機械の故障と修理。これらは全部、同じ形の数式で扱えます。しかも、遠い将来の割合まで、連立方程式を解くだけで求まります。
そこで登場するのが、今回の主役 マルコフ連鎖 です。次の状態が今の状態だけで決まる確率モデルです。
前回の記事では、順位を使う検定を学び、検定の話が一段落しました。ここまでのデータは互いに独立でした。今回の記事では、時間の順につながったデータを扱う入口として、推移確率、既約性、再帰性、定常分布 について解説します。
マルコフ性と推移確率
はじめに、マルコフ連鎖の定義と推移確率について解説します。
時刻 の状態を とします。状態はいくつかの決まった値、例えば「晴れ」と「雨」をとるとします。次の性質を マルコフ性 と呼びます。
言葉で言うと、「今の状態が分かれば、過去の履歴は次の状態の確率に影響しない」ということです。すごろくのコマを思い出してください。次にどのマスへ進むかは、今のマスとサイコロの目だけで決まります。そのマスに来るまでの道のりは、関係ありません。
右辺の確率が時刻 によらないとき、これを 推移確率 と呼び、 と書きます。このような連鎖を斉時的と言います。推移確率を並べた行列が、推移確率行列 です。
具体的に見てみましょう。ある街の天気が、次のルールで変わるとします。
【天気のルール】
- 今日が晴れなら、明日は 0.8 で晴れ、0.2 で雨
- 今日が雨なら、明日は 0.4 で晴れ、0.6 で雨
状態の順を(晴れ, 雨)として、行列で書くと次のようになります。
行列の読み方はシンプルです。行が今日、列が明日です。今日の状態から必ずどこかへ移るので、各行の合計は1 になります。列の合計は1とは限りません。
nステップ先の確率
では、2日後の天気はどうでしょうか? 今日が晴れのとき、2日後が晴れになる道は2つあります。
【2日後が晴れになる道】
- 晴れ → 晴れ → 晴れ: 0.8 × 0.8 = 0.64
- 晴れ → 雨 → 晴れ: 0.2 × 0.4 = 0.08
合計は0.72です。これは行列の積 の (1, 1) 成分です。一般に、次の チャップマン・コルモゴロフの等式 が成り立ちます。
は、 ステップで から へ移る確率です。途中の時刻に通る状態 で場合分けして足し合わせる、という式です。この結果、 ステップの推移確率行列は になります。
状態の分布も同じです。時刻 の分布を行ベクトル で表すと、 です。
せっかくなので、別の例も見てみましょう。ある街の3つのスーパーA, B, Cのお客さんが、1か月ごとに次の確率で店を変えるとします。
今月のシェアが なら、来月のシェアは です。Aのシェアは と計算でき、全体では です。
試験のポイント:分布は行ベクトルで、左から を掛けます。各行の和が1であることは、問題の行列の向きを判断する手がかりになります。
以上が、マルコフ性と推移確率についての解説です。
状態の分類:既約性と再帰性
次に、状態の性質を分類する言葉を説明します。
連鎖が長い目で見てどう振る舞うかは、「どの状態からどの状態へ行けるか」で決まります。路線図を見て、終点があるのか、環状線なのかを確かめるようなものです。1つずつ見ていきましょう。
1. 既約性
状態 から へ、何ステップかで正の確率で行けるとき、「 から へ到達可能」と言います。互いに到達可能な状態どうしは、同じ クラス に属します。
すべての状態が1つのクラスにまとまるとき、連鎖は 既約 であると言います。この性質が 既約性 です。どの駅からどの駅へも行ける路線図のことです。
天気の例もスーパーの例も、既約です。一方、次の連鎖は既約ではありません。
状態2に入ると、もう状態1へ戻れないからです。このように、一度入ると出られない状態を 吸収状態 と呼びます。
2. 周期
状態 から へ戻れるステップ数の最大公約数を、状態 の 周期 と呼びます。周期が1のとき、非周期的 と言います。
例えば、状態1と2を必ず交互に移る連鎖を考えます。
戻れるのは2, 4, 6, ……ステップ後だけなので、周期は2です。 の状態が1つでもあれば、その状態の周期は1です。その場で足踏みできるからです。既約な連鎖では、すべての状態の周期が等しくなります。
3. 再帰性
状態 を出発して、いつかは へ戻ってくる確率を とします。
【再帰性の分類】
- : 状態 は 再帰的(必ず戻る)
- : 状態 は 一時的(戻らない可能性がある)
この分類を 再帰性 と呼びます。再帰的な状態には何度でも戻るので、無限回訪問します。一時的な状態は、毎回 の確率で永遠に離れるので、訪問回数は有限です。訪問回数は幾何分布に従い、出発時を含めた平均は です。
ふるさとに例えるなら、再帰的な状態は「必ず帰省する実家」で、一時的な状態は「いつか出ていく下宿」です。
先ほどの吸収状態のある連鎖で、確かめてみましょう。状態1を出ると状態2から戻れないので、 です。状態1は一時的で、出発時を含めた平均の訪問回数は 回です。状態2は で再帰的です。
判定には、次の同値な条件も使います。
左辺の和は、 への平均の帰還回数です。「帰還回数の平均が無限大なら再帰的」と読めます。状態1では で有限です。
再帰的な状態はさらに、戻るまでの平均時間 で分かれます。 なら 正再帰的、 なら 零再帰的 です。零再帰的とは、必ず戻るけれど、平均すると無限に時間がかかる状態です。
再帰性はクラス全体で共通です。そして、次の事実が重要です。
試験のポイント:状態が有限個で既約なマルコフ連鎖では、すべての状態が正再帰的です。一時的・零再帰的になるのは、吸収のある連鎖か、状態が無限個ある連鎖です。
以上が、状態の分類についての説明です。
定常分布:長い目で見た割合
続いて、この記事の中心である定常分布について解説します。
天気の例で、 を計算してみましょう。
2つの行が、ほとんど同じになりました。今日が晴れでも雨でも、10日後の天気の確率はほぼ同じです。つまり、連鎖はスタート地点を忘れるのです。インクを水に落としても、やがて全体に同じ濃さで広がるようなものです。
この行き着く先を式で表します。確率ベクトル が次を満たすとき、定常分布 と呼びます。
言葉で言うと、「この分布から始めると、1ステップ後も同じ分布のまま」ということです。個々のお客さんは動いていても、全体の割合は変わりません。出ていく人と入ってくる人がつり合っている、という状態です。
例題:定常分布を求める
天気の例の定常分布を求めましょう。
【解き方】
- として式を書く:
- 整理する: より、
- 合計が1の条件を使う:
答えは です。長い目で見ると、3日に2日は晴れです。
2状態なら、公式があります。、 とすると、 です。出ていく流れ と、入ってくる流れ がつり合う式です。
例題:3状態の定常分布
スーパーの例で、長期のシェアを求めましょう。
【解き方】
- の最初の2本の式を書く
- 1本目より、
- 2本目に代入して、、
- 比は で、合計を1にする
答えは です。今のシェアが何であっても、長い目で見ると店Aが約46%を占めます。
の3本の式のうち、1本は他の2本から出てきます。だから、3本目の代わりに「合計が1」を使います。
定常分布の基本定理
定常分布があれば、いつでも収束するのでしょうか? 実は、そうとは限りません。次の定理を押さえましょう。
【マルコフ連鎖の基本定理】
- 既約で正再帰的なら、定常分布はただ1つ存在し、 である
- さらに非周期的なら、どの出発点でも である
- 既約で正再帰的なら、状態 に滞在する時間の割合は、確率1で に収束する
3つ目は エルゴード定理 と呼ばれます。時間平均と分布の平均が一致する、という大切な性質です。
は、見た目よりずっと役に立ちます。天気の例では なので、雨の日の次に雨が来るまでの平均は3日です。雨の日の割合が3分の1なら、3日に1度の間隔で来るはずだ、という素直な結果です。
周期のある例も見ておきましょう。状態を交互に移る連鎖の定常分布は です。ところが、 は 0, 1, 0, 1, ……と振動して、収束しません。それでも、滞在時間の割合はきちんと0.5になります。定理の2は使えず、3は使えるわけです。
補足(ここは読み飛ばしてOK): すべての で が成り立つとき、詳細釣り合い の条件と呼びます。この条件を満たす は定常分布です。ベイズ法の記事で学ぶMCMCは、この条件を満たす連鎖を作って、望みの分布から乱数を得る方法です。
試験のポイント:定常分布は と の連立方程式で求めます。平均再帰時間は です。
以上が、定常分布についての解説です。
吸収のある連鎖:最初の一歩で解く
最後に、吸収状態のある連鎖の計算を見ていきましょう。
既約でない連鎖では、「どの吸収状態へ入るか」「入るまで何ステップかかるか」が関心の的になります。解き方のコツは、最初の一歩で場合分けする ことです。将棋の感想戦のように、1手目で局面を分けて考えます。
【最初の一歩の考え方】
- 状態 からゴールに入る確率を とおく
- 1ステップ後に へ移ったら、その先は から始めたのと同じ(マルコフ性)
- したがって が成り立つ
平均のステップ数 も、同じ形です。1歩進んだ分の1を足します。
例題:卒業できる確率
ある2年制の学校で、学生の状態が1年ごとに次のように変わるとします。
【学生の状態】
- 1年生: 0.8 で2年生へ、0.1 で留年、0.1 で退学
- 2年生: 0.85 で卒業、0.1 で留年、0.05 で退学
卒業と退学は吸収状態です。1年生が卒業する確率と、在学年数の平均を求めましょう。
【解き方】
- 2年生が卒業する確率: より、
- 1年生が卒業する確率: より、
- 2年生の平均在学年数: より、
- 1年生の平均在学年数: より、
答えは「卒業する確率は約84%、在学年数の平均は約2.1年」です。
補足(ここは読み飛ばしてOK): 一時的な状態どうしの推移を行列 で表すと、 の (i, j) 成分が、 から始めたときの への平均滞在回数です。この行列を基本行列と呼びます。例題では、行の和が 、 に一致します。
別の例として、手持ち2枚のコインで、1回の勝負で1枚増えるか減るかを繰り返す賭けを考えましょう。0枚か4枚になったら終わりです。勝つ確率が0.5なら、 を解いて、4枚になる確率は です。この問題は次回の記事で、ランダムウォークとして一般の形に広げます。
以上が、吸収のある連鎖についての説明です。
細かい定理が分からなかったとしても問題ありません。ここでは、「 を解けば長期の割合が分かる」「吸収のある問題は最初の一歩で場合分けする」という点だけ押さえておきましょう。
今回のまとめ
それでは、今回の内容を振り返ります。
今回は、今の状態だけで次の状態が決まるマルコフ連鎖を紹介しました。過去を捨てるという割り切りのおかげで、将来の確率は行列の積で、長期の割合は連立方程式で求まります。
今回のポイントを振り返りましょう。
振り返り
- マルコフ性は「今が分かれば過去はいらない」。すごろくのコマの動き方。
- 推移確率行列は各行の和が1。 ステップ先は で求まる。
- 既約性は「どの駅へも行ける路線図」。再帰性は「必ず帰ってくる実家」かどうか。
- 定常分布は の解。既約・正再帰的で一意に存在し、非周期的なら の各行が に近づく。
- 吸収のある連鎖は、最初の一歩で場合分けして連立方程式を立てる。
キーワードのおさらい
- マルコフ連鎖: 次の状態の確率が今の状態だけで決まる確率モデル
- 推移確率: 今の状態 から次の状態 へ移る確率
- 既約性: どの状態からどの状態へも到達できるという性質
- 周期: 元の状態へ戻れるステップ数の最大公約数
- 再帰性: 状態を出発して、確率1で必ず戻ってくるという性質
- 定常分布: を満たす、時間がたっても変わらない分布
- エルゴード定理: 滞在時間の割合が定常分布に収束するという定理
さて、マルコフ連鎖を学んだことで、時間とともに動く確率の見方が身につきました。では、1歩ずつ右か左へ進む酔っぱらいは、どこまで行くのでしょうか? 客が来る時刻や、水に浮いた花粉の動きは、どう表すのでしょうか?
次回は、ランダムウォーク、ポアソン過程、ブラウン運動を扱う「確率過程の基礎」について紹介します。
それでは、次の記事へ進んでいきましょう。